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サインペンは自分を引き出し、軽快に走らせてくれる“ちょうどいい”表現具

ミュージシャン

菊地成孔

サックス奏者、作曲家、ジャズ批評家、文筆家、ラジオDJ、大学講師。
ジャンルを超えて才能を発揮し、その独特の目線と軽妙洒脱な語り口で、
常にユニークな表現者として存在感を放ち続ける菊地成孔さん。
お生まれはなんと1963年、そう「ぺんてるサインペン」と同い年なのです。
誕生から現在まで、同じ歳月を過ごしてきた菊地さんとサインペンの
浅からぬ関係についてお話を伺いました。

※菊地さんはサインペンを「ぺんてる」と呼ばれていたため、この記事の菊地さんの発言部分ではサインペンを「ぺんてる」と表記します。

減らない、増えすぎない。
新陳代謝を続けるサインペン

「初めてぺんてるを手にしたのは5歳頃だから、付き合いは、もう50年かな? 実家は飲食業をやっていて、飲食業っていうのはメニュー書きに領収書書き、注文書きと意外と「書く」仕事で。我が家のペン立てにはいろいろなペンが揃っていたわけだけど、僕が選んでいたのは、必ずぺんてる。ガキの手にも余らない、重くない。必ずこれを使っていたんですよ。」

少年時代から好きなものは好き、嫌いなものは大っ嫌いと、非常にハッキリとした性格。そんな菊地さんが今もサインペンひと筋なのは、「なじみだから」といった単純な理由であるわけがありません。自身の成長とともに目の前に現れる他の筆記アイテムに触れたうえで、選び続けてきたのが、ぺんてるのサインペンだと言います。

「クレヨンは線がぼやけちゃうから、まずダメで。僕は左利きなもんだから、鉛筆は無駄に手が汚れるし。ボールペンは線が細すぎるうえ、角度次第でインクが出なくなったり。色鉛筆は色の淡さが煮え切らない。油性マジックはキュキュッって音が癇に障る。三色ボールペンなんてカシャカシャと大げさな音をだす割に、本当に選んだ色が出てくるのか信用ならないし、金具とか他の素材を使った見た目も嫌いなんだよね(笑)。」

他の文房具は必ずどこか気にくわない菊地さん。それに比べてサインペンは?

「ぺんてるは、僕にとってパーフェクト。ハッキリとした輪郭の線が書けるし、すぐ乾いてくれるのも左利きにはありがたい。インクが出る量もちょうどいい。匂いもなければ、裏写りもしにくい。潔いルックスも好きだし、安いのも嬉しい。特にどんな状況、場所でもとにかく『書ける』ところが良いよね。気分がノッてきて横向きや上向きになっても、インクが出ないなんてことはなく、安定して書くことができる。僕はメロディを書く五線譜も、ネタ帳も、スケジュール帳も、手書きするものは全部ぺんてる。自分でお金を出してペンを買うようになって以来、ぺんてる以外買った記憶がないくらいです。」

作曲家として突然わきあがるメロディを書き留める時、文筆家・ラジオDJとしてさまざまなネタをメモする時…。ふいに訪れる「書きたい」衝動を逃さないためのツール、それがサインペンなのだそうです。

「常時20〜30本はバッグに必ずどさっと直入れしてますね。書きたいと思った時に、すぐ手でつかめて、いつでもどこでも使える状態にしたいから。自宅や事務所にも50〜60本スタンバイさせています。とにかく欠かせないものだから、コンビニとかでぺんてるを発見するとつい買っちゃう。店にあるだけ全部、ガバっとつかんでね。」

そのためサインペンが“枯渇”することがないのはもちろん、それだけ大量にサインペンを仕入れながら、逆に“溢れる”こともないとか。

「不思議な話なんですけど、僕は一度もぺんてるを捨てたことがないし、インク切れという終焉の瞬間に遭遇したこともないんです。でも、なぜかいつも程よい本数でキープできているんですよね。どこかで無くしたりしているのか、勝手に増減している。ほら、老舗店の秘伝のタレみたいに。継ぎ足しても継ぎ足しても溢れず、それでいて永遠になくならない、みたいな(笑)。」

一見するといつも同じ状態にありながら、常に循環がおこり、新しく更新されている。まるで身体の細胞のように新陳代謝を繰り返しながらクリエイションを支え続けるサインペンは、菊池さんにとって文房具のレベルを超えて、身体の一部になっているようです。

デジタルとアナログ。
二刀流化する世界で感じる「手書き」の面白さ

今や文字を書くこと、創作すること、生活することまでもがスマホ一台で足りてしまうような時代。しかし、菊地さんは「手で書く」行為を手放すことはないと断言します。

「テクノロジーが進むと、いっときはテクノロジーに席巻されちゃうんだけど、決してアナログがなくなるわけじゃない。音楽もそうでしょう? スマホでデジタルの音楽を聴くようになっても、アナログで楽器を演奏する人、ライブに行く人がいなくなるわけじゃない。今で言えば、スマホの中でできるデジタルなことと、スマホの外のアナログなことが共存して『二刀流化』していくと思うんだよね。」

菊地さんは、雑誌に寄稿するエッセイや批評文などの論理的に頭を使う場合はパソコン入力、歌詞やラジオ用のネタなど心や本能で感じるものはサインペンと役割を分けて使っているようです。

「歌詞なんかはパソコンで打ち込んでみたこともあるんだけど、まるでダメ。手書きとは言語感覚が違ってしまう感じがあって、やはり手じゃないと。言葉がどんどん湧いてくる時に、ペンを走らせるのが僕にはあっているんですね。」

メロディメーカーとしての菊地さんを支えるのも、もちろんサインペン。シュシュッと紙をすべる音、踊るように軽快なペン運び。音楽家らしくサインペンのリズム感にも着目します。

「僕は五線譜にもぺんてるで書くんだけど、やっぱりリズムが大事。気分がノッてきた時にシャーペンみたいにポキポキと芯が折れたり、ボールペンみたいに角度や紙によって書けなくなったりするのは、もうあり得ない。一方ぺんてるは、ノッてきた僕を邪魔しない。輪郭もパキッと明確だし、いいビートを刻んでくれる。書きなおす時はバンバン五線譜を捨てて、10枚目ぐらいで完成するんだけど、ぺんてるだけで書き上げたという、妙な満足感があるのもなんかいいんですよ。あと書いてない時、僕の指が何をしているかというと、こうやって大体ぺんてるに挟まっているんですよ。これをペンペンと弾いたり、ぐにゃぐにゃっともてあそんだり。末端に刺激がないと落ち着かないのは大人になっていない証らしいけどね(笑)。」

目を、耳を、指を心地よく刺激する独特のリズム感と存在感。サインペンならではのこの気持ちよさが、知らぬうちに菊地さんを活性化し、「書く」にますます向かわせているのかもしれません。

自分を引き出し、軽快に走らせてくれる
“ちょうどいい”表現具

筆記具であり、画材具であるサインペンは、菊地さんにとってはいわば表現具。思わず引き込まれるエネルギッシュな語り口、多分野で活躍を続ける多彩な才能と、「表現者」という言葉が似合いの菊地さんは「表現」をこう考えます。

「表現は内面にあるものを外に出すこと。ただ話すだけでもそれは表現であって、人間にとって食べる、寝るなどと同じくらい自然のことで、逆にいうと僕たちは表現することから逃れられない。自分の中の奥深いものを押し出すには、何かきっかけ、エンジンみたいなものが必要で、それが声だったり、楽器だったり、個人で違うだけなんだと思うんです」

道具のちがいは、脳の使い方のちがい。エンジンに何を選ぶかで表現が変わり、そして少なからず人生も変わっていくのかもしれません。

「僕にとってのエンジンはぺんてるが“ちょうどいい”というだけのこと。過剰過ぎても、足りなさすぎてもダメで、ぺんてるは自分とシンクロして表現できるから、手放せないんですよ。僕は確かにこだわりが強い性格だけど、すべて一筋というわけじゃなく、本業の方の身体の一部であるサキソフォンはいくつも買い替えているし、趣向のちがうタイプを同時に揃えたりもするんですよ。でもぺんてるだけは、控えも補欠も一切持ったことがない、なぜなら代わりがない物だから。いつかぺんてるを超えるギアに出会ったら、あっさり使わなくなる日もくるのかもしれないけど……ただ、そんな日はまったく想像がつかないですね。」

音楽から、言葉の選び方、ファッションまで。“個性の塊”といえる菊地さんの表現を促すエンジンが、誰もが手にしたことのあるサインペンというのは不思議なようですが、シンプルな道具だからこそ、ジャンルを縦横無尽に越えて表現を続ける菊地さんとの相性が良いのも頷ける気がします。

最後に、ひとつ質問を投げかけました。

「サインペンの改良点?  時々ノートに水をこぼしてしまうので、水に濡れてもにじまないと最高ですね。水性ペン全体への挑戦になってしまうかもしれないけれど(笑)。でもね、変わらなくていいんです。最高のものが“ちょうどいいもの”とは限らないから。」

“僕のパーフェクトデザイン”。

サインペンを眺めながら、つぶやいた菊地さん。55年といわず、200年でも300年でも変わらぬ姿で、ちょうどよくあり続けてほしい。そんな願いを密かに込めて、サインペンは今日も当たり前のように菊地さんの手に握られているのでしょう。サインペンをエンジンに、菊地さんはまたどんな爽快な走りを見せてくれるのか、私たちの楽しみもまた尽きることがありません。

菊地成孔

菊地成孔
1963年千葉県生まれ。
1984年メジャーデビュー、ジャズミュージシャン(サキソフォンプレイヤー/ヴォーカル/ピアノ/キーボード/CD-J)として活動スタート。
その後は軸足をジャズミュージックに置きながら、表現の場をジャンルを越境した多彩な分野に広げ、ラジオ・テレビ番組でのナビゲーター、コラムニスト、コメンテーター、選曲家、クラブDJ、映画・ドラマの音楽監督、対談家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、ジャーナリスト、作詞家、アレンジャー等々として活躍。
現在にいたるまで、多面的な才能を発揮するクリエイターとして、エネルギッシュな存在感を放ち続けている。