この”作家ペン”はラジオのおとも
放送作家
古川耕
各メディアで文房具について語り、お気に入りボールペンを選ぶイベント
「OKB48(お気に入りボールペン)選抜総選挙」の主催も務める古川耕さん。
文房具好きのみなさんであれば、そんな文房具エンタテイナーとしての顔になじみがあるかもしれません。
一方ラジオ好きなら、その声を聞けばピンとくる方も多いはず。古川さんは、TBSラジオの大人気番組『アフター6ジャンクション』『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』で構成作家を務め、宇多丸さんの立板に水のトークに相槌をうち、時にメインとしても喋る“あの声”の主。ラジオから届くのは軽快な楽しい会話だけですが、実は放送の間じゅうその手には必ずぺんてるのサインペンが握られているとか。さて、サインペンはどのように活躍しているのでしょうか?
ラジオの現場に必ずある、
「ラジオのお供」サインペン
とある日のラジオ放送のスタジオ。
パーソナリティのライムスター宇多丸さんと共にブースに入っている古川さんは、軽妙なトークに笑い声をあげて放送を盛り立てながら、進行指示を出したり、リスナーから大量に届くメールに目を通したりと休む暇がありません。放送時間をにらみながら、刻一刻と変わる状況に都度対応し、キュッと面白さが詰まった放送を作りあげるためには、パーソナリティと構成作家の「あ、うん」の呼吸が必須。その番組の肝となる、ふたりのコミュニケーションを繋ぐのが、サインペンなのです。
「『あと30秒でCMです』、
『トークが盛り上がったから後の進行を一部カットしましょう』、
『リスナーのメールのこの部分を読んでください』。
進行状況を見ながら、構成作家からそんな指示をしゃべり手さんに伝えるのですが、放送にのっていますから当然声は出せません。だからシュシュッとペンを走らせるのですが、指示出しや赤入れに使うペンは、ラジオ業界ではぺんてるの『サインペンの赤』と決まっています。ラジオ局には備品として大量にストックされていて、全体では年間数千本とか、数万本とか使うんじゃないでしょうか。いわゆるラジオ業界のデファクトスタンダード(業界標準)なんです。」
その言葉どおり、ディレクターさんもアナウンサーさんも、番組に関わる人の手にはお約束のようにサインペン。テーブルに置かれたペン立てには何本もサインペンが入っており、ストック用の引き出しには何十本もぎっしり。
なぜ数あるペンの中からサインペンが選ばれ続けているのでしょうか?古川さんはその理由に「色」「書きやすさ」「静寂」をあげます。
「ラジオ局の多くは今も紙中心の文化なんです。台本やメールを紙にプリントアウトするので基本的に黒文字の世界で、そこに注意喚起や指示書きするにはやっぱり目立つ赤がいい。放送中に急いで書く時にかすれたり、すべりが悪かったりすると使えないし、もちろんキュキュッと音が鳴るなんてもってのほか。たぶんボールペンでは細すぎるし、色鉛筆だと薄くて見えにくい、太すぎても細すぎてもいけない。ということで『サインペンがいい』という感じで残っていったんだと思います。
かつて指示出しをする時にサインペンが近くになくて、とっさに蛍光マーカーで書いたことがあったのですが、『見えねぇよ!』って(笑)。それ以来、現場の備品に頼るだけじゃなく、自分でもサインペンを数本携帯して臨むようになりました。」
サインペンは“ラジオのお供”“欠かせない仕事道具”だと断言する古川さん。しかし、かつてはそう気持ちよく言い切れない時期もあったとか。
「今だから思い切って言いますが、『サインペンは使いたくない』と思っていた時期もあるんですよ。」そこには文房具ライターとしての顔ももつ、文房具好きの古川さんならではの葛藤があったのです。
“使いたくないペン”から
リスペクトする“作家ペン”へ
そもそも文房具好きになり始めたのは、ライター稼業を主にしていた15年ほど前のこと。
「小説やドラマCDの台本も書いていたのですが、書く仕事の割に書くことが嫌で(笑)。仕事へのモチベーションをあげるために文房具に気を配るようになったんです。お気に入りの靴が履きたくて外出したくなるように、好きな文房具を使いたいから仕事しよう、みたいな。するとどんどん文房具の世界にハマっていって。選ぶポイントはなんといっても『自分がアガる』がいちばん。ちょっと高級な物とか、あまり人が持っていない物とか、そういう希少性やカッコよさのある文房具に魅力を感じていました。」
それから数年して、ライムスター宇多丸さんからのお声がけでラジオの世界へ。そこで待ち受けていたのが、業界のデファクトスタンダードとしてのサインペンでした。
「人と違う文房具に“アゲ感”をおぼえていたものですから、いくら使いやすいからって『こんなどこにでもあるペンでは仕事したくない、みんなと一緒なんて嫌だ!』って(笑)。反発して備品のサインペンとは違うマーカーを個人で用意して使ったりしたけど、自分のペンが生放送現場の混乱のなかで紛失したり、そもそも読みにくかったり使いにくかったりで、結局使いやすいサインペンを『使わざるを得ない』と観念しました。」
消極的な理由で、渋々手に取るようになったサインペン。しかし、先輩放送作家の一言によって、サインペンを見る目が変わります。
「ラジオをはじめて2年目くらいだったか、『このサインペンはラジオ業界では“作家ペン”と呼ばれているんだ』と教えてもらったんですね。そのくらい構成作家にとって手になじむ必需品なのだ、と。それを聞いて単純にカッコいいなと、サインペンを見直しはじめました。」
以来、約10年。少し個性を出したくて、当時日本ではほとんど売っていなかったピンクやオレンジ、水色を取り扱う店を探してわざわざ買いにいったり。そんなオリジナリティへのこだわりも徐々に薄まって、定番の赤を抵抗なく持つようになったり。また最近では「他のスタッフが使ってるのを見て、懐かしくなって」とピンクを再び使うようになったり…。今やラジオ業界で生きる自身の一部となった“作家ペン”。
「最初は気づけなかったんですけど、今あらためていいと思うのはこのデザイン。余計な線や凹みもでっぱりもなくて、かといってそれが無粋にならない。ここまでシンプルに徹して、かつ売れ続けているマーカーペンというのは見当たらないと思います。発売から55年でマイナーチェンジはあっても大筋は変わってないでしょ? そういうところもカッコいいですよね。
あと、現場で使いやすい理由は『キャップの大きさ』。これね、片手でも開けられるんですよ、簡単に。だから書き出しが早くてスピード感がいい。まさにラジオのお供です。」
日常ではスマホやパソコンなど便利なデジタルデバイスをしっかり駆使し、その一方で、ペンも定番から個性派まで多彩に所持。文房具マニアゆえの幅広い選択肢をもちながら、それでもラジオの現場で手にするのはストイックにサインペンのみ。逆に現場以外でサインペンを手にする機会はほぼ皆無とのことで、古川さんにとってはサインペンといえばラジオ、ラジオといえばサインペンという存在。どんな高価なアイテムでも決して替えがきかない、唯一無二の仕事のパートナーなのです。
サインペンは構成作家の
最強の武器
実は、古川さんは過去にサインペンを武器に戦ったことがあるんです。これは「サインペンを手に放送業界をバリバリ生き抜く」といった比喩ではありません。例えでも、格好をつけているわけでもなく、文字どおり“戦った”のだそうです。
「番組内のトークから盛り上がって、ラジオ局を舞台にした映画『タマフル THE MOVIE(入江悠監督)』を撮ることになって、僕も出演者として映画に出たんですよ。
悪徳プロデューサーに囚われた主役の宇多丸さんを救出する映画のクライマックスシーン。弾薬ベルトのように“作家ペン”を体に巻きつけた僕が、ピューっとプロデューサーに投げてやっつけるんです。あれはおそらく映像史上唯一サインペンが武器になった瞬間じゃないでしょうか。もう、あり得ないですよね?(笑)」
スタジオの決して大きくないテーブルの上で、話し手と作り手が瞬時に意思疎通をするために存在している、サインペン。誰かを倒すことができるかはさておき、もっと面白い放送にするためにサインペンを懸命に走らせるその姿を見ていると、サインペンが構成作家にとって、ラジオ業界にとって、そして古川さんにとって最強の武器であることは間違いないでしょう。
「僕たちラジオの構成作家にとってサインペンは現場にないと本当に困るもの。でも将来、現場がペーパーレス化したらどうなるかな? まったく想像できません。デジタル化してもサインペンは手放せないかもしれないですね。サインペンは正真正銘のラジオのお供ですから。」
今日も古川さんは最強の武器をその手に握り、ラジオの現場で奮闘していることでしょう。
最強に面白い番組をつくっていく、そのために。
- 古川 耕
- 1973年生まれ。構成作家・ライター・編集者。旧知のライムスター宇多丸氏の誘いをうけてラジオの世界に入り構成作家に。現在、『アフター6ジャンクション』『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』『ジェーン・スー 生活は踊る』(すべてTBSラジオ)など人気番組の構成を担当する。その一方で文房具への見識の高さから文房具ライターとしての寄稿や文房具解説などの活動もおこない、ラジオ番組、イベントなどに多数出演。「OKB(お気に入りボールペン48)総選挙」を主催するなど“文房具通”としても知られる。